名古屋高等裁判所 昭和61年(行コ)12号 判決 1990年4月25日
控訴人 伊藤滋
被控訴人 愛知県知事 ほか二名
代理人 入谷正章 永井良治 ほか一六名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取消す。
2 被控訴人愛知県知事が昭和四一年一〇月一二日付で行った別紙目録記載の土地についての権利細目公告処分を取消す。
3 被控訴人愛知県収用委員会が昭和四二年一二月二〇日付で行った別紙目録記載の土地についての権利収用裁決処分を取消す。
4 被控訴人国は控訴人に対し別紙目録記載の土地を引渡せ。
5 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
6 第4項につき仮執行宣言
二 被控訴人ら
主文同旨
第二当事者の主張
当事者双方の主張は、次に付加訂正する他、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。
一 原判決の付加訂正
1 原判決九枚目表六行目の「法律三四号」とあるのを「法律第一六七号」と改める。
2 同判決一一枚目表三行目の「現在」とあるのを削り、同行の「である」とあるのを「であったところ」と改め、同五行目の「第八九号)」のあとへ「、昭和六三年一月二一日に判決が言渡され確定した」と加え、同六行目の「行っている」とあるのを「行っていた」と改める。
3 同判決一二枚目表二行目、同七行目、同裏三行目の「ている」とあるのをいずれも「ていた」と改める。
4 同判決二五枚目表八行目の「権利の」とあるのを「権利を」と改める。
5 同判決二九枚目裏二行目の「て現在」から同三行目の「であるが」までを「、その後最高裁判所で上告審の判決が言渡されたが」と改める。
6 同判決三三枚目表五行目から六行目にかけての「旧河川法施行規程(明治二九年勅令二三六号)」とあるのを「旧規程」と改める。
7 同判決六二枚目表の「物件目録」を「本判決別紙物件目録」のとおり改める。
二 控訴人の付加した主張
1 処分取消訴訟の訴えの利益についての補充主張
控訴人は本件公告と本件裁決の取消及び本件土地の引渡を請求しているが、それとは別に、適法な期間内に被控訴人らの違法な権利収用によって控訴人に生じた損害の賠償を国家賠償法に基づき請求するつもりであり、それに先行して被控訴人愛知県知事、同愛知県収用委員会が行った本件公告、本件裁決が違法であるとの理由によりその取消を求めることは格別迂遠な手続ではない。判例も違法な行政処分の取消訴訟もしくは無効確認訴訟の確定をまって国家賠償請求を行う場合について、右取消もしくは無効確認訴訟の訴えの利益を肯定する判断を示している。
2 本案についての予備的主張
仮に、私有堤については区域認定を要せず、河川附属物認定により、その私権が消滅するとしても、本件土地は河川台帳上の河川附属物の区域に入っていないのであるから、私権が消滅することはない。
3 河川附属物の範囲は即地的に定まるか
被控訴人らは、当該土地が河川附属物の範囲内にあるか否かは、即地的に定まると主張するが、そのようなことはありえない。
これを本件土地についてみても、木曽三川の輪中堤区域においては、従前から洪水時の避難と洪水から家屋家財を護るため、堤防小段の狭長な平坦部分や、堤防に接して小段状の宅地を造成して、これを居住地、墓地等にすることが多く、福原輪中堤においても、神明神社、誓光寺、火葬場、墓地等の公共施設の敷地や私有地として買収された箇所などが輪中堤の内外の小段状の土地に位置している。このように、堤防小段と小段と同一形状の宅地等が混在している福原輪中堤においては、その形状からだけでは、それが、河川附属物である堤防小段であるのか、そうでない堤防小段状の土地であるのかは現地を見ただけでは、全く区別ができないのである。例えば、被控訴人らが示している乙第一七号証の一の河川台帳正本の木曽川に面した堤防の河川附属物認定区域の幅は、堤外(川側)に堤防小段状の宅地のない箇所では約二五メートルから三〇メートルにも及ぶが、宅地のある箇所は、そこを避けて急に狭くなり、その約半分の一五メートルから一七メートル程度になっている。これは、被控訴人らの、堤防の幅はその地形に関係なく、上下流の幅と同一であり、その区域は現地で即地的に定まるとの主張が、木曽川区域においても、福原輪中堤区域においても全く事実と相違していることを明らかにしている。また、被控訴人国は、本件土地と同様な土地を私有地として買収している。これらの土地は、甲第一三号証の横断図・平面図や甲第四三号証の二の横断図・平面図が示すとおり、本件土地と全く同じ形状の堤防小段状の土地であり、もし、本件土地が河川附属物認定でその私権が消滅しているとするならば、当然にそれら買収土地もその河川附属物認定で私権が消滅していた筈である。
4 「揖斐川支川 長良川更正台帳平面図」(以下、「更正台帳」という。)について
(1) 控訴人は、昭和三四年八月三一日、被控訴人愛知県知事に対し河川台帳閲覧願を提出し、河川測標が記載されている河川台帳を愛知県津島土木事務所で閲覧し、その河川附属物境界線と河川測標とを位置図にトレースして、河川台帳トレース図を作成した。
(2) 控訴人は、昭和六一年一〇月一日施行された愛知県公文書公開条例に基づき、同日被控訴人愛知県知事に対し河川台帳の公開を求めたところ、愛知県津島土木事務所より「当該河川台帳は建設省へ移管して現在保管していないが、長良川更正台帳平面図は保管している。」との連絡を受け、控訴人はこれを閲覧した。
(3) 控訴人は、右台帳を被控訴人らからの任意提出に基づき甲第七七号証の一、二として当審で提出したが、これが「揖斐川支川、長良川更正台帳平面図 愛知県 大正一二年五月一五日著手大正一四年三月三一日結了」と題する書面である。
(4) 控訴人が(1)でトレースした図面はこの更正台帳である。即ち、甲第四〇号証と更正台帳を照合すると、その河川附属物境界線と河川測標の記載は一致していること、福原輪中堤における本件河川附属物認定処分は大正一四年一〇月二八日付愛知県告示第五八九号による河川附属物認定(以下「大正認定」という。)と同内容の河川附属物認定であるから、このことは明らかである。
(5) また、河川台帳以外に河川附属物と河川測標とを記載した台帳は存在せず、従って、これが河川管理者である被控訴人愛知県知事が保管していた当時の河川台帳であることは間違いない。
(6) 鑑定人近藤登は、更正台帳の記載内容に基づき、本件土地のうち(一)の土地は全部河川附属物区域の外であり、(二)の土地もその大部分が区域の外であると鑑定している。
5 大正認定と本件河川附属物認定処分
控訴人は、昭和認定から二〇年後の昭和三四年八月に、愛知県津島土木事務所において、当時の河川台帳正本と、それと同一内容の更正台帳を見せられ、両台帳の登載内容が同一であることを確かめたうえでトレースしているのであり、大正認定に際し調製された更正台帳が本件河川附属物認定処分後の河川附属物認定をも示していることは明らかである。従って、大正認定と本件河川附属物認定処分とは少なくとも河川台帳・更正台帳に登載されている福原輪中堤については、同一の河川附属物認定であった。もし、当時の河川管理者愛知県知事が本件河川附属物認定処分で大正認定と異なる河川附属物認定をしておれば、昭和三四年八月、控訴人が河川台帳の閲覧を申し出た時、新しい河川台帳を閲覧させるか、あるいは、河川台帳は無いとして閲覧を断った筈である。
6 本件土地の登記と納税
旧河川法施行当時の不動産登記法においても、河川、河川附属物の区域となって私権が消滅した場合には、河川管理者は遅滞なく、その登記を抹消しなければならないとされていた。ところが、本件土地については、現在に至るも登記は抹消されておらず、現在控訴人の名義になっている。また、その固定資産税も控訴人に対し賦課されている。このような登記、納税に関する事実は、控訴人が本件土地を所有することの大きな推定力となって働くものである。
7 自白の撤回に対する異議
被控訴人らは、控訴人が河川台帳の要部をトレースした図面を所持しており、本件土地が河川附属物の外にあることが判明してからは、にわかに、その主張を事実上撤回して「被控訴人らは、河川台帳を権利収用当時所持していなかった。また、河川台帳は河川附属物認定による私権の消滅とは関係がなく、河川附属物の範囲は即地的に定まる。」と主張するに至った。しかし、被控訴人らは、従前「河川附属物認定は河川台帳への記載により私権消滅の効力を生ずる。被控訴人らが河川台帳を所持しており、これにより、本件土地が河川附属物の区域内にあることが分かったから、その私権は消滅していると判断し、権利収用した。」と主張していたのであるから、これは自白の撤回にあたるので、控訴人はこれに異議がある。
三 被控訴人らの付加した主張
1 訴権の濫用について
本件公告及び本件裁決に係る別件補償金増額請求事件(以下、「別件補償金訴訟」という。)は昭和六三年一月二一日最高裁判所判決により確定した。これを踏まえて訴外千代子は昭和六三年一月二八日増額補償金を異議なく受領したことから、同人は既に本件土地に関し正当な補償のなされたことを容認したものと言わざるをえない。従って、別件補償金訴訟において事実上本人のように訴訟活動を行っていた控訴人が、訴外千代子から本件土地の贈与を受け、本件訴えに及ぶことはまさに訴権の濫用である。
また、控訴人は、別途国家賠償請求をするにつき、それに先行して本件公告や本件裁決の取消を求める訴えの利益を有すると主張するが、国家賠償を求める訴訟を提起するにしても、行政処分の適否はその訴訟で争えば足りるのであって、控訴人の主張は理由がない。
2 河川附属物認定の意義
旧河川法は、堤防、護岸、水制等の工作物は河川の概念に包含せず、河川の附属物として河川から独立した工作物とし、河川とは法律上異なる概念に属するものとしていた。そして、同法上は、河川と河川附属物の両者はいずれも私権の対象とはなり得ないのであるが、その本質的な違いから、区域の決定方法については、両者間に差異がある。即ち、河川については河川認定によって法が適用される上下流の区間が定まるものの、それは単に抽象的な範囲が定まるにとどまるのであって、これに加えて河川区域の認定が行われることによって法が適用される具体的範囲が定まり、その結果私権が排除されることとされるのである。他方、河川附属物は「実体のある現に存する施設」について認定を行うため、法が適用される範囲は、現地において具体的に、かつ、即地的に明らかとなるので、河川のように区域認定を必要とせず、河川附属物の認定(その告示が行われたときに効力を生ずる)によってのみ私権が排除されるのである。
これを河川附属物のうち堤防について見ると、その法尻と宅地・田畑などとの境は一見して明らかとなるが、小段状の宅地等が入り交じった区域の場合も、堤防はその全体について一定の幅と高さをもって連続的に存在するので、河川附属物たる堤防の区域は堤体の法尻から法尻までの幅を範囲として即地的に定まるのであり、堤内地盤が高く、法尻が不明な場合にも、当該箇所の上下流における堤防法尻を見通した線をもってその範囲とすることができるのである。
そして、控訴人指摘の福原輪中堤の現状は、小段等がいかに利用されていようとも、堤防とそれ以外の部分は即地的に区別できたのであり、現実に堤防の一部を構成していれば、たとえ、それが宅地等であっても河川附属物の範囲に含まれるのであって、その土地を避けて附属物認定が行われるものではないのである。この点についての控訴人の主張は河川附属物認定自体の問題と占有の問題を混同していると言わざるをえない。
3 河川台帳について
旧河川法下における河川台帳は、河川管理上の諸問題の発生に対し、その都度現地に赴かなくとも現地の状況が正しく把握できるなど、迅速確実な河川管理ができるように、その調製を図ったものであった。また、高度の公証力を有するものとされ、このため、その調製にあたっては、詳細な実測作業を行うとともに、地元市町村長の意見を聴取し、縦覧に供して、利害関係人の意見を徴することとされていた。このように、河川台帳は調製時点における河川の現況を示すものであり、且つ、高度の公証力を有するものであった。従って、河川台帳は河川の現況の変化とともに更正されていくべきものであったが、実際には、台帳の調製は詳細且つ厳密であることを要求していたため、調製とその変更に多額の費用を要し、却って台帳の整備が阻害され、十分に行われなかった。即ち、河川の現況は河川工事の進捗に伴い年々変化しており、その変化の都度河川台帳の更正の手続を取ることは、事実上不可能であった。このようなことから、河川台帳は河川附属物認定によって私権の消滅する範囲を明確にするものの、私権消滅の効力を発生させるとか、その区域を決定するとかいった機能はなく、むしろ、現地において、具体的かつ即地的に明らかな河川附属物の土地の範囲を図面をもって補完する機能を有するにすぎない。因みに、現行河川法では河川台帳には公証力はないこととしている。
本件土地の河川附属物認定に係る河川台帳は、現存しないことが確認されており、実際に調製されたか否か、調製されたが紛失滅失したか否かが、今もって不明であり、太平洋戦争への突入等当時の社会事情等を考察すれば、調製されなかったことも十分考えられるところであって、被控訴人らは、一貫してその不存在を主張してきたところである。
4 更正台帳について
控訴人の主張する更正台帳は、昭和六一年ころ愛知県津島土木事務所で発見されたものであるが、現在建設省木曽川下流工事事務所が引継ぎ保管している。ところで、更正台帳は巻物であるが、その保管が建設大臣ではなく、愛知県津島土木事務所であったことから、河川台帳の原本とは考えられず、その大きさ、形状から判断すると、河川台帳の正本または副本でないことも明らかである。ところで、更正台帳に「大正一二年五月一五日著手、大正一四年三月三一日結了」との記載があり、大正認定のうち長良川の護岸である立田村大字福原新田及び同村大字立田地先の附属物番号が更正台帳の図面に表示してある番号とほぼ一致している点を考え併せると、大正認定に先立ち調製された図面ではないかと推認される。
しかし、本件土地は、本件河川附属物認定処分によって私権が消滅したものであるので、更正台帳は本件審理には直接関係するものではない。即ち、大正認定は昭和一四年八月四日付け愛知県告示第八九八号により廃止され失効しているので、失効した大正認定に先立って調整されたと推認される更正台帳をもとにして本件河川附属物認定処分を論ずるのは意味がないのである。
これを、福原輪中堤の現状に照らして説明すれば、その南部が昭和一三年七月に発生した洪水によって破堤し、後日修復しているように大正認定時と本件河川附属物認定処分時とでは同堤の形態が変化している。一方、同認定後堤防の形態の変化をもたらす大幅な改修をなしたことを記す資料が見当たらないことから、同認定時の堤防の形態は本件土地の権利収用当時とさしたる変化がなかったものと考えられるので、権利収用当時の本件土地の状況を示す図面等と更正台帳とを比較すると、次のような差異が見受けられるのである。即ち、本件(一)の土地付近について権利収用当時の現地の状況を示す昭和三六年当時の空中写真及び昭和四二年一二月二〇日付けの裁決書正本に添付した平面図から堤防の幅を計測すると、幅約二五メートルになるが、更正台帳で計測すると堤防の幅は約一八メートルとなる。このことを堤体断面概念図でみると、右土地は斜線部分に位置し、更正台帳によれば明らかに堤体外となるのである。そうすると、この土地は更正台帳調製当時は堤体外に位置していたが、改修等による堤防の形態の変化により、その後、堤体内に位置するようになったものであることが明らかであり、更正台帳が、仮に大正認定に係る河川台帳と位置づけられるとしても、これは本件河川附属物認定処分に係る河川台帳では到底あり得ないものなのである。
5 トレース図について
右図面を更正台帳と対比すると原図である更正台帳には記載されていない線をトレースしてあったり、直線をあえて屈曲させたような結果となっており、更正台帳をトレースしたものとは言えない。
6 本件土地の登記抹消未済及び納税と本件河川附属物認定処分の効果
本件土地が土地登記簿上控訴人の所有となっていることは認めるが、控訴人が本件土地につき固定資産税を賦課されていることは不知。
わが国の民法は、不動産の登記については単に推定力を与えるにとどまり、公信力を認めていないのであるから、登記の有無や記載事項によって実体的な権利関係が定まるものではなく、本件土地についても抹消登記がなされず、登記が残存していたことをもって、所有権を主張することはできない。また、土地に係る固定資産税は、土地登記簿の登記に基づき固定資産課税台帳に所有権として登録されている者に課税するいわゆる台帳課税主義がとられている。即ち、土地に対する固定資産税の賦課については、土地に関する権利関係の調査、確定の煩雑を避けるため課税技術上一定の時点に所有者として公示されている者は、真実の権利関係の如何にかかわらず、その年度の固定資産税の納税義務を負うこととなるのである。このように納税義務者と真実の所有者とが必らずしも一致しないわが国の徴税においては、納税の事実をもって、所有権を有することを根拠付けることはできない。
7 自白の撤回に対する異議について
被控訴人らは、河川附属物認定の効力は認定の告示が行われたときに発生するのであり、これによって、河川台帳の調製の有無とは関わりなく、私権消滅の効果が発生するものであること及びその範囲は現地において即地的に定まることを明確に主張しているところである。また、河川台帳を本件土地の権利収用当時においても、現在においても、被控訴人らにおいて所有していないことは原審以来一貫して主張しているのであるから、控訴人主張のような自白は成立していない。
四 被控訴人らの訴権濫用の主張に対する控訴人の反論
別件補償金訴訟が昭和六三年一月二一日最高裁判所判決により確定したこと、訴外千代子が同年一月二八日増額補償金を受領したことは、いずれも認める。しかし、土地収用委員会の収用、損失補償の各裁決には、いずれも不服申立てと出訴の期間が定められており、その双方に不服があって出訴した場合、その訴訟が別々に進行し、本件の場合、別件補償金訴訟の判決が先に確定したので、控訴人側は、国に対する債権の短期消滅時効の関係から、補償金の確定額を受領したものである。補償金受領後の取消訴訟の遂行は一見不自然にも見えるが、これは行政不服審査法一条の「簡易迅速な手続きによる国民の権利、利益の救済を図る」との趣旨を無視して、権利細目公告と権利収用裁決の両処分に対する審査請求を申立て以来一四年も放置したままで、裁決をしなかった被控訴人国の怠慢に原因があると言える。従って、補償金受領の理由から訴権の濫用であると決めつけるのは筋違いの主張である。
第三証拠<略>
理由
一 当裁判所も、控訴人の被控訴人愛知県知事及び同愛知県収用委員会に対する各訴えはその利益を欠き不適法として却下を免れず、控訴人の被控訴人国に対する請求は失当として棄却すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり付加訂正し、当裁判所の判断を加える他、原判決の理由説示と同一であるから、これをここに引用する。
(原判決の付加訂正)
1 原判決四七枚目表一〇行目の「現在」から同行の「あるところ」までを「最高裁判所で判決が言渡され確定したことは当事者間に争いがないのであるが」と改める。
2 同判決五一枚目表八行目の「して、仮に」から同一一行目の「していると」までを削る。
3 同判決五六枚目裏五行目から六行目にかけての「よらざるを得ない」のあとへ「場合のあることは否定できない。しかし、そのことは、河川附属物の前示のような性質上、その範囲が即地的に定まることが通常であることとは抵触するものではない」と加える。
4 同判決五九枚目裏一一行目の「旨の」を「ことを示す」と改める。
(当裁判所の判断)
1 別件補償金の受領と訴権の濫用について
本件土地等の収用補償金に関し提起された別件補償金訴訟が、昭和六三年一月二一日最高裁判所判決により確定したこと、訴外千代子が同年一月二八日その増額補償金を受領したことは当事者間に争いがない。そして、この補償金は本件土地を含む一七筆の土地に対するものであるから、権利収用による補償金を受領する一方で収用の前提になった行政処分の効力を争い、更に、当該土地の引渡を求めることは、法律的に両立し得ないものとみることもできる。しかし、この別件補償金訴訟は、<証拠略>によると、本件土地を含む土地についての収用に伴う損失補償金額の増額を求めるもので、訴外千代子はこの訴訟で本件土地が自らの所有であることを主張していたが、判決はこれを認めず、河川区域認定ないし附属物認定により所有権は消滅し、収用の対象になるのは占用権であるとして適正補償金額を定めたものであることが認められること、この判決の名宛人は、あくまでも訴外千代子であって、権利収用後に本件土地を同人から譲り受けたという控訴人ではないこと、同訴訟判決が確定した以上、訴外千代子において補償金を受領しないと国に対する債権である補償金債権が短期消滅時効にかかることも考えられることに照らせば、控訴人が、現在の時点においても、本件土地の所有権は自らに帰属すると主張して、本件訴訟を維持することが訴権の濫用にあたるとみることは相当ではない。
2 国家賠償請求訴訟と行政処分取消訴訟の訴えの利益
違法な行政処分を受けたことを理由に国家賠償請求をするについては、あらかじめ、右行政処分につき取消又は無効確認の判決を得なければならないものではないから、国家賠償請求訴訟の提起を前提に本件公告及び本件裁決の各処分取消を求める訴えの利益が認められるとの控訴人の主張は採用できない。
3 河川附属物の範囲と即地的判断
当裁判所も、河川附属物は現実に存在する人工的施設であるから、河川や支派川と異なり、その範囲・限界の判別が比較的容易であり、河川区域認定や河川台帳への記載を待つまでもなく、その附属物認定処分のみにより附属物の範囲内とされた土地の所有権は消滅すると判断するのであるが、その範囲は即地的に定まるのか、河川台帳により更に明確にされることを要するかについて検討する。
旧河川法においては、地方行政庁が河川台帳を調製することとなっていたところ、同法一四条三項は、主務大臣の認可を経た台帳に記載した事項については反対の立証を許さない旨定めており、調製された河川台帳は高度の公証力を有するものであったから、河川附属物認定の範囲もその記載により自ずから明らかになるはずのものであった。しかし、<証拠略>によると、現実の実務においては地方行政庁の管理に属する河川のすべてにつき河川台帳が調製されていたわけではないことが認められ、本件においても、被控訴人らは、長良川福原地区に関しては河川台帳は調製されなかったか、あるいは調製されたとしても、第二次大戦の混乱の中で紛失、滅失して所在不明となり、現在被控訴人国はこれを所持していないと主張し、本件全証拠によっても当該河川台帳の存在することは認められない。確かに、人工的施設とはいえ、規模の大きな堤防などでは、法面下端と非堤防部分の境界を厳密に認定することに困難を伴う場合もあると考えられ、河川附属物認定部分とそれ以外の部分の判別は、現地においては常に容易であるかに言う被控訴人らの主張はそのまま採用することはできないと言うべく、従って、河川附属物認定を受けた物件のすべてにつき、河川台帳に記載されることが望ましく、旧河川法のもとにおいては公証力を有する河川台帳によってその区域が明確にされるべきものである。しかし、現実の河川台帳調製に関する実務がその当否は別として、そのように運用されていなかったのであり、河川台帳の存在を認めることのできない本件においては、それによって、本件土地が河川附属物である堤防の範囲内にあるか否かを確定することはできず、その判断は即地的になされざるを得ない。そして、旧河川法の解釈上、河川附属物の区域認定をすることが私権消滅の要件とは解されない以上、このような手法を捉えて不適法視することは相当ではない。ただ、河川台帳もなく、即地的にもその判定が不可能な事例においては、河川附属物認定処分の本来の効力も発生しないと解すべきである。
しかるところ、<証拠略>によれば、担当行政庁における河川管理の実務では、河川台帳のない場合は即地的に河川附属物認定の範囲を判断してきており、本件土地周辺においては、堤防は一般的に一定の幅と高さをもって連続するものであることもあって、新堤築造前の福原輪中堤環状堤について、堤防の構成部分か否かの判定はそれ程困難ではなかったことが認められる。
4 更正台帳について
当審で<証拠略>として提出された「揖斐川支川長良川更正台帳平面図」は、昭和六一年一〇月ころ、控訴人が、愛知県津島土木事務所で閲覧したと主張するものであり、被控訴人国の主張するところによれば、現在は建設省木曽川下流工事事務所で保管されているものであるが、<証拠略>によると、控訴人は、昭和三四年八月、訴外千代子の名前で被控訴人愛知県知事に対し長良川福原地区の河川台帳を閲覧したい旨を願い出、そのころ愛知県津島出張所で提示された巻物状の図面を閲覧するとともに、これを自らトレースした図面(<証拠略>)を作成し、引き続き所持してきたこと、その後、愛知県公文書公開条例が制定施行されたことから、昭和六一年一〇月一日被控訴人愛知県知事に対し河川台帳の公開閲覧を申立てたところ、福原地区の長良川河川台帳は建設省木曽川下流工事事務所へ移管されていること、被控訴人愛知県知事が河川台帳を河川台帳令五条に基づき更正調製した更正台帳を愛知県津島土木事務所で保管しているとの連絡を受けたことの各事実が認められ、被控訴人国もこの更正台帳の写しを裁判所へ任意提出し、それが前記甲号証として提出されたものである。
しかるところ、控訴人は、昭和三四年に控訴人がトレースした図面は河川台帳であるとして提示された図面をトレースしたもので、更正台帳とは、河川附属物境界線と河川測標の記載が一致していることなどから、同一の図面であり、また、本件河川附属物認定処分は大正認定と同じ内容の河川附属物認定であるから、更正台帳は昭和認定後の本件権利収用当時の福原輪中堤の附属物区域も示している正規の河川台帳である旨主張し、一方、被控訴人らは、更正台帳は大正認定に先立って作成されたものと推認されるが、大正認定と本件河川附属物認定処分の間には法的連続性がない以上、これが同認定の河川台帳であるということはあり得ないと主張する。
そこで検討するに、先ず、<証拠略>によれば、河川台帳は縦一尺二寸、横一尺八寸の大きさであって、控訴人がトレースした元の図面であるという巻物状のものではないことが認められることや、長良川福原地区の河川台帳については、前記のとおり、これが調製されたのか否か不明であることからして(但し、<証拠略>によれば、大正認定に先立つ明治四〇年ころの長良川立田村については、河川台帳が調製されていたことが認められる。)、控訴人がトレースした元の図面が河川台帳であると認めることはできない。また成立について争いがなく、更正台帳の縮小図面である乙第四七号証と同じくトレース図の縮小図である乙第四八号証とを対比照合してみると、四七号証のA点は輪中堤内水路の屈曲点と考えられるが、四八号証のA該当点には前者にみられない水路とおぼしきものがトレースされていること、四七号証のB線は更正台帳の右端線であるが、四八号証のB線該当部分の右側(同号証の下側)には前者には見られないトレース線がいくつか記載されており、C部分もその一例であること、四八号証のD線は四七号証には記載がないこと、四七号証のE点は輪中堤内の道路とおぼしき線が輪中堤にほぼ直線でつながっていたのに対し、四八号証のE該当点ではこれが輪中堤の手前で屈曲している他、前者にある線で後者においてはトレースされていない線があること、この他にも両者にはいくつかの相違点が見られるところ、特に、更正台帳に記載されていない線がトレースされていたり、直線が屈曲したりしていることは看過できない点であり、しかも、四八号証には、四七号証に記載がないのみならず、甲第五九号証(控訴人本人が当審における本人尋問において供述するところによればトレース図の元になったはずの図面である)にも記載がない線が記載されていたり、逆に甲第五九号証に記載のある線が記載されていなかったりしており、それらのことからすると、当審における控訴人本人尋問の結果にもかかわらず、控訴人がトレースした図面(<証拠略>)は当審で提出された更正台帳(<証拠略>)をトレースしたものか疑問が残るところである。したがって、控訴人のトレースした図面(<証拠略>)の法的性質は不明というべく、これをもって本件土地が河川附属物の範囲内にあるか否かの判断をする資料とすることはできない。
次に、本件更正台帳の法的性質であるが、その表題部に「大正一二年五月一五日著手大正一四年三月三一日結了 愛知県」と表示されていることから、大正認定に先立ち、地方行政庁である愛知県が調製したものと認められるところ、当審における鑑定人近藤登は、その体裁及び記載内容及び乙第一七号証の一との対比からすると、これは「河川台帳ニ関スル細則」の各項目を満足する仕様により作製されており、河川台帳令第一条でいう実測図と同様な目的で作製された図面であると推定できる旨鑑定しており、また、原本の存在とその成立に争いのない乙第三五号証によると、大正認定を告示した愛知県公報には「更正台帳」との記載がある。とすると、この更正台帳は、それなりの信用性をもつ公文書であると考えられる。しかしながら、右鑑定結果もあくまでも一つの推論であるし、右公報の記載もこれだけから、本件更正台帳をもって河川台帳と法律的に同じ性質のものであると断定することは困難であり、また、<証拠略>も更正台帳が大正認定時の河川台帳であることを裏付けるものではない。結局、本件全証拠によっても、これが河川台帳令に基づき正規に調製された河川台帳を前記年月日に更正した台帳であることまでは認定することができない。
その一方、<証拠略>によれば、大正認定後においても福原輪中堤においては改修工事がなされており、このため堤防の規模形態がかなり変化してきており、権利収用当時の空中写真や本件裁決書正本添付の平面図で計算すると、本件土地のうち(一)の土地近辺の堤防の幅に約七メートルの違いのあることが認められるのである。また、法律的にも大正認定と昭和認定はそれぞれ別個の行政処分であり、原本の存在と<証拠略>によると、本件河川附属物認定処分に際し大正認定が廃止されたことが認められるから、大正認定時の資料をそのまま本件河川附属物認定処分時の資料とすることのできないことは当然である。こうして見ると、本件更正台帳に依拠して同認定時における河川附属物である福原輪中堤の環状堤における認定範囲と本件土地の位置関係を判定することは相当でない。
5 本件河川附属物と本件土地の位置
以上判断のように、本件河川附属物認定処分により河川附属物として認定された福原輪中堤の環状堤と本件土地の位置関係を明確にする当時の図面は存在するとはいえず、甲第三八号証の二の重ね合わせ図もその資料とはなしえないことは前記のとおりである(原判決引用)。そこで、その判断は即地的判断によらざるを得ないことになる。
控訴人は、本件土地は河川附属物として認定された福原輪中堤の敷地内にはなかったと主張する。しかし、本件土地が福原新堤が築造される以前は輪中堤の環状堤の南部に位置する堤内の小段部分にあったことは、控訴人の自認していたところであるが、一般的に堤防小段は堤体の一部を構成するものと観念されている(控訴人のこれまでの主張からすると、控訴人もこれには特に異論はないものと考えられる)。のみならず、本件土地が同堤防環状堤の敷地であったことは、控訴人自身が原審における控訴人本人尋問において供述しているところである。また、前掲<証拠略>は本件裁決書正本に添付の平面図であるが、当審における証人手塚常雄の証言、本件河川附属物認定処分後、同図面作成までの間に堤体の形態を大きく変えるような改修工事がなされた形跡の窺えないこと、更には弁論の全趣旨によると、同図面は本件河川附属物認定処分時の状況に近いものを表示していると認められるのであるが、これによっても本件土地は、ほぼ同環状堤の敷地内にあることが認められる。
もっとも、<証拠略>によると、もと加藤太郎が所有していた立田村大字立田字一番割一〇三番一、一〇四番一、一〇九番一、同番三の各土地が本件権利収用に先立ち被控訴人国に買収されていること、前記控訴人本人尋問の結果から控訴人が作製した図面であると認められ<証拠略>によると、福原輪中堤環状堤の堤内側法尻近くの土地が同じく被控訴人国に買収されていること、<証拠略>によると、被控訴人国は三重県桑名郡木曽岬村の地目が「堤とう」ないしは「堤敷」とある土地を買収していること、<証拠略>によると、木曽川堤防の一部において河川附属物認定部分の区域幅が堤防脇の宅地部分ではこれを避けて急に狭くなっていることがそれぞれ認められる。しかしながら、もと加藤太郎が所有していた前記土地が堤防敷地外で、かつ、本件土地と同形状のものであったとの証拠はなく、却って、弁論の全趣旨から成立の真正が認められる<証拠略>によれば、これらの土地はいずれも堤防法尻線から外れた堤体外の土地であった可能性の方が強いし、木曽岬村の買収土地もこれが河川附属物認定を受けた堤防敷地であったことを認めるに足りる証拠はないから、被控訴人国による右各土地の買収の事実が控訴人の主張を裏付けるものとはいえない。また、<証拠略>から認められる木曽川堤防の河川附属物認定についても、狭く認定されてそれから外された部分が小段ないしは小段状の土地であったかどうか明確でなく、むしろ、堤防に近接した堤体外の宅地ではないかとも窺われるところである。
更に、前記近藤鑑定の結果について検討するに、同鑑定は結論として、更正台帳上の本件土地の位置に関し、控訴人主張のとおりの結論をだしているのであるが、同鑑定書も自ら認めているとおり、更正台帳と前記裁決書添付の平面図とは作製時点が四〇年余も異なり、この間に現地では堤防や道水路等の補修がなされ、図面上でも、作製時の誤差、図面保管中の伸縮、折りじわ等のことがあって、現在、更正台帳上で表示された土地を正確に特定することは、殆ど不可能に近いほど難しい作業であって、かなり大きな位置誤差があると認められることや、更正台帳自体が、先に認定のとおり、本件河川附属物認定処分時の本件土地の位置を認定をする資料としての適格を有していないと考えられることからして、この鑑定結果も前記認定を左右するには足りない。
以上の諸点を綜合して考えれば、本件土地は本件河川附属物認定処分において、河川附属物と認定された福原輪中堤の環状堤の敷地部分にあり、同認定処分により、旧河川法第三条に従いその所有権は消滅したものというべきである。
6 なお、控訴人は、控訴人が本件土地登記簿上の所有名義人であり、かつ、固定資産税を賦課されているとして、この事実から控訴人の所有権が推定されると主張する。たしかに、不動産登記簿上所有者とされ、固定資産税を納付している者があるとき、その者が当該不動産の所有者であることが多く、また、本来そうあるべきものであって、その意味で登記簿の記載には推定力があると言うことができる。しかし、本件においては、これまで判示してきたように、本件河川附属物認定処分によって認定処分の範囲内にあった本件土地の所有権は消滅したのであって、手続上はその所有権登記は抹消されるべきものであったし、また、固定資産税も個人に対して賦課されるべきものではないのであるが、何らかの事情から、本件河川附属物認定処分当時の登記簿上の所有権登記の抹消がされないままとなっていると考えられるのであって、本件では不動産登記簿の記載に従って推定をすべきではなく、控訴人の主張は理由がない。
7 自白の撤回に対する控訴人の異議について
控訴人が、被控訴人らにおいて従前主張し、その後撤回したという主張事実が、本件訴訟における主要事実であるか否かはさておき、被控訴人らの原審口頭弁論における主張の内容は本件記録によれば、昭和五六年一二月一六日付け準備書面で「附属物認定が行われれば、河川台帳令一条に基づき河川台帳という帳簿に記入されるとともに、同令一条、河川台帳ニ関スル細則九条に基づき、その面的な範囲が示されることになるのであり、附属物認定だけではその区域は定まらないとする原告(控訴人)の主張は誤りである。」旨主張し、一見すると、河川台帳への記載によって区域が定まるから河川附属物認定処分だけで私権が消滅すると主張しているともとれる主張をしたが(同五七年四月七日付け準備書面でも同旨を述べている。)、同六〇年一一月一八日付け準備書面では「河川附属物は、即地的に、つまり、現地において一見して存在が明らかとなるものであるから、河川附属物認定に当たっては、改めて地番などを示す必要はなく、単にその概括的位置を示せば特定としては足りる。しかし、河川附属物認定の範囲が何らかの理由によって明確とならない場合が生ずることもあるので、旧法においては河川台帳によって法の適用範囲が明確になるように万全を図っている」「本件土地に関係する河川台帳は現存していない」旨の主張をしているのであって、被控訴人らが、河川台帳を所持していると主張した事実はないし、河川台帳への記載についても、その主張を通して見れば、河川台帳に記載されなければ、私権は消滅しないとは主張していないとみるべきである。従って、その余の点について判断するまでもなく、自白の撤回の問題は生ぜず、控訴人の異議は採用できない。
二 よって、これと同旨の原判決は相当であるから、本件控訴を棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 伊藤滋夫 宮本増 谷口伸夫)
物件目録<略>
別紙図面<略>